ポジティブとネガティブ【優先順位はどっち?】

メンタル
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この記事の対象者

ネガティブを表に出さない事とポジティブなことをする事とどっちが先か?

ポジティブなことをすればネガティブでなくなってくる!

ネガティブを表に出さないことは何の生産性もないことだろうか?

ネガティブをポジティブに転換する方法を知りたい。

ネガティブそのものは悪者?

個人の対処と社会の対処を知りたい。

このような方は、この記事を読むことでネガティブの対応・表現において、思っていたよりネガティブの対応もよいことに気が付きます。

ネガティブなモヤモヤは対応次第でプラスに変えるお知らせであったり

外に表現しない、禁止をすることで得られるメリットが思っているよりはあると知ることが出来ます。

理由は、わたしたちの社会は、クリエイティブな生産的なことだけではなく、マイナス対応や問題解決の仕事もたくさんあり、問題解決の仕事も減るどころか増えることもあるからです。

ポジティブなことにフォーカス出来ていれば、本来ネガティブな感情を忘れて楽しく充実した気持ちで過ごし、ネガティブなことは眉を傾け、ちょっと嫌だなと感じるようになります。

その意味で、即ポジティブなことに切り替えたらいい☆と気持ちを切り替えられたならOKです。

ここでは、ネガティブの対応や表に出さないだけでポジティブなことをしないのに、ネガティブの禁止が単にゼロよりも価値があることを知ることが出来ます。

ネガティブの対応は、ネガティブを落ち着ける、消していく以外にも価値のあるお知らせ、という深い内容も含めたらこの記事では収まりません。

この記事では、簡単にネガティブをヒントにするワークや、社会でネガティブを控える→禁止することだけでも直ぐにメリットを得られる内容です。

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ポジティブとネガティブの優先順位

先ず、上の写真を見てどう感じるでしょうか?

お巡りさん(交番)が巡回して立っているにも関わらず、どことなく穏やかに見えませんか?

もし悪い事をしている自覚のある人が上の写真を見たら「ゾクッ」として逃げようと考えるのではありませんか?

特別に普通の穏やかな日常の中に、たまたまお巡りさんが立っていて、周りの人達も脅えている様子もありません。

特に仕事をしている訳でもありません、たまたま日常を切り抜いた光景ではありませんか?

ただそれだけのことに収入が生まれなくても、私たちは上の写真のような光景も何故だかひとつの夢のように感じる事がありませんか?

本人の自覚として悪い事をしていない、普通にリラックスして過ごしていると上の写真のようになります。

同じ光景でも、本人が悪い事をしていると知っていると(やましいことがある)勝手にお巡りさんを見て脅えるものです。

これは、交番の前で勝手に脅えることが、実際には席を外していてポスターの写真が人のように見えるだけでも、悪い事をしていたら脅えることも入ります。

この記事の最終的には、お巡りさんが巡回している所をリラックスできている状態なら束の間の平和と言えるかもしれません。

ネガティブなこととポジティブなことの優先順位ですが、ポジティブなことをしていたらネガティブにならない意味で、ポジティブな状態を目指すところは否定することはありません。

当然の認識としてポジティブは目指すもの、素直にいいことです。

ところが思いもよらないことからネガティブなことに遭遇したり、巻き込まれたり、身体がダルくなるなどポジティブな状態にも関わらず影響を受けてしまうこともあるかもしれません。

何らかの影響も含めてネガティブになるとき、その向き合い方と表に出す時に控えることが、マイナスを避けて場合によったらプラスになるキッカケになることもあるのです。

ヨガの哲学で八肢則というものがあります。

悟りまでのステップというか、段階です。ピラミットで、下が土台と考えられます。

私たちがヨガライフと言ったりしてスタジオやYouTubeなどでヨガを行う前に、実は段階があります。

安心して下さい。

ここは柔軟に考えることが出来ますので、順番に拘らなくても下に落ちて土台から成り立っていくというものです。

さて、ピラミットの土台である一番下の段階が

Ⅰ禁戒(ヤマ)行わないこと

非暴力・不殺生→生きとし生けるもの暴力を振るってはいけない(傷つけない)殺してはいけない。

        表に出さずとも、言葉においても、思考(内心)においても

        暴力を振るってはなならない。お肉を食べる事も深い意味で非暴力とは言えない。

嘘をつかない→自分の利益やエゴのために嘘をついてはいけない。

       他人を傷つける場合は、↑の非暴力・不殺生が優先され本心を言わない。

不盗→他人の物、時間、信頼、権利、利益などを盗んではならない。

禁欲→欲をもたない。エネルギーの無駄をしてはならない。

不貪→貪欲さを捨てる。必要以上に所有しない。

Ⅱ勧戒(ニヤマ)行うべきこと

清浄→心身・身の回り(身嗜み)・空間をきれいに保つこと。

満足・知足→今あるものに満足すること。足るを知る。外の状況や変化することから幸せを求めず今あ     ることに感謝し満足することが幸せへの近道。

苦行・自制→精神鍛錬のために困難なことを実践する。自身を痛めつけたり我慢をするのは非暴力・不殺生に反するので↑が優先される。起こる困難や試練があっても成長の糧と受け入れられる強さを養う。

読誦・学習・向上心→聖典、マントラ、名著、人格者が書いた本、本質的なことが書かれた本など心を整える働きのある本を読む。得た知識を実生活を通して智慧に昇華させて人格を成長させること。

信仰→信仰をもち祈りなさい。

次に、

Ⅲ(座禅)体操 アーサナ(ヨガのポーズ)

Ⅳ(呼吸法) プラーナヤーマ

Ⅴ(感覚の制御) プラティヤハーラ

Ⅵ(集中・精神統一) ダーラナ

Ⅶ(瞑想)→ディアナ

Ⅷ(三昧・悟り)→サマーディ

何か気が付いたことはありますか?

もし気が付いたことがあれば、ノートにメモしておくといいかもしれません。

ここで伝えたい事は、最終的に瞑想をしても、ヨガのポーズをとろうと、呼吸法を実践しようと

Ⅰ禁戒の土台にもどってバランスをとっていくことです。

よく考えてみて下さい。

はじめの土台である、非暴力・不殺生すら出来ていると思えるのでしょうか?ということです。

悪いことを思ってもいけない、お肉を食べることも

これは土台が完璧に出来ないうちは次に進んではいけない、という訳ではありませんが

結局土台にもどってくることになるということです。

(土台から完璧に実践したい方はそれもご自由に。)

私もはじめは体操の完成形から入って後から心を整えていく、というような練習をしていました。

仕事でストレスがたまり、どう処理していいかわからずにマインドフルネスをすることもあると思います。

ヨガは宗教ではなく、悟りを開く際に瞑想を通してある時悟ったという話のように、歴史から見ると宗教が生まれる前の聖者達の智慧のような、歴史がまだ謎もあるほど前の修行法のような、なのです。

ヨガから生まれたようなものと考えてみれば、マインドフルネスをしても段々食欲がおさまってくるとか、欲がなくなってくるとか、感謝できたり、悪い事に嫌な気持ちになったりしてくるものです。

考えて見れば、悪い事をしていて悪い事をしていると思っていない、気分が悪い状態に麻痺している状態だってあるはずです。

そういったことに嫌だなぁと感じることも、綺麗な状態だから、という事ができます。

その意味でも、掃除や挑戦、勉強(読書)がいいのは勧められている通り、

その前に禁じる戒めがあることを覚えておいてください。

優先順位は、どちらかと言うと禁戒であり、勧められる行うべきことが禁戒の上に成り立つ、また掃除や学び挑戦し負けないことが清々しく禁戒を破っていない状態であったり

階段をのぼる時に、一段飛ばしをしたことがありますか?

すっとばして上がっている状態です。そんなようなものだと思ったらどうでしょうか?

ネガティブを整理する

ヨガの哲学である禁戒をはじめより守れるようになるにつれて

段々気持ちも穏やかになってきて、悪いことが減ってくるといえます。

とはいえネガティブなことが起こった時、自分から進んで挑戦したことにストレスが溜まって来る

このような時には

ネガティブなサインをヒントに、自分だけのノートにネガティブな気持ちや感情をたくさん書き出してみるのです。またなるべく半分くらいはポジティブなことも書き出してみます。

そして、その書き出した言葉や文の下に「→フィードバック」を書いてみます。

例えば、お腹がグルグルして苦しい→お腹が疲れているんだね(どんな対処がよくなるだろう?)

肩が凝って重くて苦しい→夢中で気が付かなかった(肩をストレッチしよう、ついでに他もストレッチ)  計画倒れ→その原因は?

じめじめしてて気分が冴えない→そんな日もある、お天気もある、深呼吸、笑うトレーニング

なんかモヤモヤする?→何だ?何だ?

特別なことがないけど生きてて幸せ→ありがとうございます

そういえばご飯が幸せ→ありがとうございます(雨は作物が喜ぶ)

読書のよさは想定外→よかったよかった

思っていたよりは悪くなかった→よかったよかった

植物の緑が元気になる!→気付けてよかった、味わえてよかった

など。

はじめから上手に書けなくても、自然でいいです。

次に話せる場は以外に少ない、もしくはカウンセリングやカウンセリングのようなことが理解できる友人などに他の代償を払うくらいのバランスで聞いてもらえる(だいたい)、くらいが現実なので書いて整理できると色々いいこと、うまくいく確率が上がります。

※カウンセリングのようなことが理解できるについては、常識とは思わず、専門性です。

平均レベルが高い場合はうまくいく確率が上がりますが、カウンセリングレベルを普通に求めてはいけません。だいたい挨拶や普通のコンタクトや雑談が出来るくらいで普通です。

※雑談は無意識の雑談と意識する雑談があり、自然にうまくいくのが目的なら気の利かない雑談にも適当に流して角が立たないようにした方が変に問題がおきません。

社会に向けてネガティブを控える

ネガティブな気持ちや感情を整理して、ネガティブやモヤモヤを押し殺す必要はないのですが

自分以外の外、特に理解してくれるような親しい人、友達や信頼できる人など以外の場では

なるべくネガティブなことを表に出さない方がいい場合が多いです。

どちらかと言うと、ネガティブなことを外に出して何事もなかったら不思議、誰かが我慢していたり親切に消してくれている場合があります。もしくはカウンセリングのように対応してくれているです。

またはじめは多少ネガティブも共感されることもあるかもしれませんが

基本的に外では少しネガティブ表現は控え目にした方が好印象です。

どちらかと言うと、本当はポジティブを装えるように元気で溌剌としていた方がいいです。

それが出来る状態にない余程深刻な場合は無理はしない方がいいのですが、

明るく元気でいられないことは、少し考える必要があります。

そうでなければ、そのままネガティブな印象になり、集団がネガティブでもネガティブにならない、少しでも明るく気軽で前向きな態度の方が好まれます。

無理はしなくていいのですが、目指すところを間違えないようにしたいものです。

ちなみに内職や自宅勤務などの場合は、コンタクトの時だけポジティブであればOKです。

知的に深刻になるのも質の意味でもいいことですが、他の人と仕事などする時は求められなくても明るく元気に見せることは大切です。

つまり大切なことは、ネガティブなことを言える場は思っているより少ないです。

理解してくれる家族、元気でない状態を受け止めてくれる信頼できる友達・親友、信頼できる人(余裕がありそうな人)許容してくれる人

実は元気に深く考えないで遊んでいたり、上手くいっているときは自然に角なくさらっと発散も出来ていることもありますが

個人的な深刻な悩みを聞いてくれるというのは、かなり奇跡的なことかもしれません。

人に頼っていけないという訳ではなく、相談したらその分の帳尻を合わさないと上手くいかないので逆に自分に負担がかかることもあります。

よほど信頼できる関係でなければ、家族はまだしも外の社会では相談+帳尻か「表に出さない」ことが返っていい場合があります。

また普通よりいい環境、親切でいい雰囲気の場合は、逆に自分もプラスアルファでいないといけないので意識して上げる必要も出てきます。

そのこと自体は確かにポジティブですが、プライベートや個人的な悩みや相談は、ポジティブな軽い話題や雑談なら流れるかもしれませんが、ネガティブで深刻な悩みの相談は聞いてくれるのが当たり前、あの人は聞いてくれなかったと根に持つのは筋が違います。

チームリーダーやマネージャー、相談員やサポートセンターのような悩みを聞いたり解決するような立場の仕事なら逆に話してくれた方がいいのですが、

何かの目的や業務などで(相談してもいいと組織上言われているような人以外に)あまりその業務以外の、雑談や気の利いた話題以外は、控えた方が返ってプラスです。

※(例外的に、同性の場合はある程度うまくいっていれば、無言の間が問題にならない場合があります。

逆に無言の間が、言葉がなくても平気でその方がいい空気間です。

これは、営業などでは最後に決める決断の自然な無言の(逆は最大の)間はいい間です。

美術館で鑑賞する時のような間で、ほどよい距離感、何も話さなくても自然ないい無言の間もあります。

言葉がない方がいい間。これは、いい間です。)

控えた方がいい事に関しては

私も結構、すぐ出してしまう方なので、すぐ反応が出て経験してわかるのですが

業務にプラスか普通の最低限以外(よくも悪くも、ぼちぼち、まぁまぁ、よくはないけど、最低限の時にプラスだけでなくありのまま伝えられると楽)に、あえてマイナス要素の個人的な話は控えた方がよく、無の間を作ってはよくないので、適当な重くない話題やどうでもいいことくらいを話して個人的な問題はあんまり目立たせない方がいいです。

そう思って、思っているよりは悪くないと思う分にはまだいいのですが、

何でも悩みは話さないと信頼関係が、、と思わなくていいです。

仕事など社会の小集団の場合は、だいたいその目的のために上手くいくためにサポートがあるので

(バック内での調整などはいいとしても)決まっている役割に響くようなことはなるべく言わない方がいいです。(プラスの提案などは勿論プラス要素です)本当に言わないと不味い緊急な悪材料が出る場合もあるので、(最悪はやめるだけですが)

居心地を悪くしたくなければ普通かポジティブにしておいた方が楽です。

時には頼ることが大切なこともあります。

基本的に我がままではなく危険防止などは人に頼ることが重要です。

例えば、火事の場合は、無言で火を消しに行くのではなく、先ず「火事だー!!!」と周囲に知らせて消火活動に入るイメージです。

我がままを通す場合は、その分何かしらの代償があって成り立つ部分があり

決まりがなく見えない中で、上手くいく場合のだいたいの天秤です。

だたいの天秤は総合量が同じくらい(プラスの分には相手次第)で形式は成り立つ形なら拘らなくよいのですが

仕事の日程変更の場合は他の日程変更で合わせる、次に回す、などしてお茶菓子で合わせるのは違う場合があります。

「旅行行ってきました、お土産です」ならありますが、任された分の仕事は他の仕事で帳尻を合わせるなどお茶菓子ではなくだいたい業務で合わせるようにその場で違和感のない範囲です。

友人の場合は、ネガティブなことを聞いてもらったら、今度は逆に聞くとか、ご飯代を出すとかお土産を渡すか次に元気で別のいい展開になるなど、それも出来ないような時に控えた方が悪くならないこともあるかもしれません。柔軟であればよりいいかもしれません。

この記事は、禁戒やネガティブを表に出さない方がいいだの、抑制的で好まれないかもしれませんが

実践した方が自分が苦しまないための、いいことよりは悪いことを控えることで積極的にプラスになる

実はうまくいく見えない実践です。これも、自分のためにプラスになります。

問題解決の仕事がある以上、問題自体が悪化しない、取り立ててプラスがないことも、問題があるばかりの中、何事も起きないことが評価のようにプラスになる場合すらあります。

ポジティブ実践はそれを飛び越えている(すっ飛ばしている)意味でまだいいことです。

積極的にポジティブに、よりも地味に意味のある禁戒、ネガティブを出すのは中ぐらいの社会では控えるのは自分のため、そして本当に禁戒など実践しようものなら、何しても悪い事はないでしょう、よくしかならなかったら結構疲れるもので、いい状態で落ち着けば上出来、その上でプラスするのは押さえなくて大丈夫です。

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