国際問題や犯罪(破壊するのか調和するのか裁くか)

メンタル
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この記事の対象者

経済的に強い方にのっていけばいい。

悪と正義の意味がよくわかりません。

善悪を決められる訳がない。

恐くて考えたくない。

考えなくても貢献できることはないか?

考えない間に他の人達が活動していたら?

このような方は、この記事を読むことで漠然とした不安を整理し、その上で行う行動の確信であったり見直し、確認ができます。

全ての問題は網羅できませんが、ひとつの問題を考えることでヒントになることはあるかもしれません。

理由は、どこまでは考え、どこからその上でどうしていこうか、ということが混乱する可能性があるからです。

「悪く捉えて心配するよりは、別の楽しいことを」

「いやいや、問題に気が付かない事でますます怒っているお知らせ」

どちらのケースも一利あり、たまには少し他の考えや可能性があるかもしれない、という発想は役立つと思います。

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起きている国際問題

昔から世界中で見たら、問題は頻繁に起こっていたり依然として続いている問題があると思いませんか?

ということは、その問題を考えてネガティブになって余計に現状を悪くしないことも確かに大切ですし、その問題解決の活動が今でも行われていたり、小さな変化や、研究されていることもあります。

やはり、間接的な貢献も役立っているのではないだろうか、とか、その間に今でも進んでいる進展によって状況が変わっていることもあるかもしれません。

これらどちらも、或いは他にもあるとしたら?というのも昔から考えられていることではないでしょうか?

中国の件も一昨年から深刻な緊急問題として国際的な問題となったり、

それが裏から裏へとロシアであったり軍であったり裏取引などされたり、人々の不安に付け込んだ洗脳であったり悪が正義のような錯覚を起こさせるような見えない悪質な犯罪であったり、その陰で見えない犯罪が動いていたり。

国際問題は中国だけではない問題もある中で、

中国も依然として被害者が出ている問題が残る中、国際化の問題からは真逆のような状況が続いています。

日中の貿易の制限を迫られています。諸問題とし

「日本の土地を多く買われる件に制限があった方がいいのではないか?」

G7の中で具体的な法整備がないのは日本だけとなる状況です。(3/28現在)

日本の立場で、弁護というか言い分として普通に

「いや~、様々な問題にも対応を続ける中、国内外の問題にも取組中で、まだまだ継続しているところです。確実によくなっていることや、新しい問題を考えたり、まずまずやっています。「え?!」そんな問題予測もしてなかったし、予め考えてもいなかったのですが。今の法整備も世界で信頼を得てきているところなのですが、、。」

このような言い分で、

さ・さ・さらに迫られているというのは、予想外の展開に対応を迫られているということです。

中国は中国で抱える問題もあるのですが、悪い事といい事(経済的・利便性)が両方あり、悪い事が解決されないまま進んでいます。

「日本の土地を中国が買い続ける問題」も

これは、元来の制限をクリアすれば可能だったことを、「中国の上の統制により、一般的にクリアした売買すら後から統制される可能性」も考える部分があり、さらに制限が必要ではないか?という問題に迫られています。

後から国家に支配され、日本の土地を中国の領土化に置かれてしまう懸念を事前に考慮する必要があるのです。

そして、土地を売ったことで得られるお金のために取引するのなら、損害賠償の問題が残っているので、そちらの方が遥かに大きく、お金で解決できる問題ではないところまできているのです。

その結果損害賠償責任を果たした後に、もうお金が残っていなければ土地を売ることも資金の問題が出てくるのです。

そして、勇気をもって「損害賠償を!」と言った国が圧力をかけられいじめられたのです。

世界のポリスのようにアメリカも合理的な対応をしても攻撃を仕掛けたりされるのです。

つまり損害賠償では済まされない問題で、損害賠償すら恐くて言えないのが現状です。

どうしたら解決に近づくのでしょうか?

倫理と法律

倫理的に許されないことや、違法について(そもそも通用する法律か)

倫理的なことと法律では、倫理的なことのが厳しく、現象として現れた事実が法律に触れる場合は違法として強制的に裁かれることになっています。

それが追い付かない問題も残っています。

実際にあるルールが守られないのを、そのまま裁かれないということで法律自体が信頼されていない場合もあります。

しかし、そのルールのもとで進んでいて、見つかったら捕まえるという体制は変わっていませんが、追い付いていないのが現実です。

本来の姿勢として、ちゃんとやろうとしているのだが、次から次へと犯罪が起きたり事件が起きたりして、追跡したりする中で、ちゃんとやっている人やちゃんとやっていない人などの細かい問題から、様々な問題が起きるのに対応しても対応しても追い付かないのです。

真面目な人とそうでない人がいたとしても、一応「犯罪は捕まえて裁く」ようにはしているのです。

つまり、理想は犯罪がなくなれば一安心なのですが、なかなかそうなっていない現実があるだけで、見込みとして犯罪も考慮に入れないといけないだけで、本当のところ出来るなら犯罪はゼロに、したいことはしたいのです。

ここは犯罪者を残す戦略ではなく、他のことで手が回らないということです。

よく考えて見たら、30人の教室内で1人の暴力を振るい暴れる人がいたら29人はどうでしょうか?

もし30人とも遊んだりほどほど勉強していたら(個人差、成績の上下あり)どうでしょうか?

暴力を振るう悪い人がいるから幸せと考えますか?

30人とも何事もない、普通のこと(人それぞれ)をしていた方が幸せは幸せではないでしょうか?

ところがそうは問屋が卸さないようで、1人の人にも別の事情があるのかもしれません。

そういった問題は残っているとして、その問題が解決されて無事平和になったら幸せではなくなりますか?

本当は、問題がないならないで、その方がいいはいいと思いませんか?

そして1人の問題を解決するために、その問題に携わる人もいると思いませんか?

要するに、好きで問題があるのではなく、何かしら必要な事情や理由があると思いませんか?

まず方向としては、出来るものなら解決していきたいし、そういう方向に向かってはいるんです。

努力しているけど、問題がどうやらなくならないから困っているのです。

またこんな経験はありませんか?

30人のクラスで意見やアイディアを出し合って、新しい企画を実行しようと一眼となるような時。

ここでは、一旦問題が落ち着いていたりある程度平和な前提があると思いませんか?

という事は、悪がなくなることを恐れる必要はありますか?

そもそも楽しいことをしている時に、周りに何事もないことを心配する理由もありますか?

何かしらの尺度で、みんなが悪くなければレベルが上がり、競争での敗北感を恐れることがあるかもしれません。

しかし、それは犯罪とは違う次元で、普通の中での競争です。

犯罪はまた別の次元で起きていたら、競争のことも犯罪がない環境の方がよい流れになると思いませんか?

そんなことを考えても考えなくても、望まなくても起きてしまうのが犯罪なのです。

だからなくならないだけで、なくなるならその方がよく、悔しいですが追い付いていない現実があります。

つまり、犯罪や悪事がなくなるならその方がいい。 その上で競争やクリエイティブな別の問題もあるだけで、本当は見えないところで起きている犯罪や陰の悪のグループなどが不安なのではないでしょうか?

日本の被害者

そして、日本では、、、、裁判が長続き、判決が出ても元を取れないような結果もあるのです。

だから和解が理想的なんていう風潮があり、そりゃうまくおさまればいいのですが、そうではないケースは訴訟が大事になります

だから何でも訴訟すればいいかと言うと、

例えば、会社の上司に「これだけ成果を出しているのにこの待遇は通例と比較しても不遇である!」などと訴えても、別の未払い残業や最低賃金などの方は厳しくされても、成果で最もな結果(判決)が出ないような場合もあるでしょう。

つまり、ある程度は法律にそって裁判で戦わないと、思っていた結果が出ない場合があります。

その上で、違法にも関わらず損害賠償が訴訟額やその他の金額を下回ったりすることもあり、正当に判決が出たのに損をすることもあります。

そして判決により変わる可能性もあるのですが、勝つのも「訴訟して戦うから」と「正当性がある」から勝つのです。

このような意味があるのに面白くない法廷での戦いは、まだまだ問題山積というか、法律自体が信頼されなかったり、依然として付け込まれてしまう問題も残っています。

本来は秩序は色々な言い方が出来ますが「被害者が出ないため」とも言えるのですが。

法律があるから出来ない!なんていうのは、革新的であると同時に、何のためにその法律があるかは考えてみてもいいと思います。

人間ですから法律よりも中立に考えるのは、相当難しいことではないでしょうか?

そして、今の時代は素晴らしい法律がありますが、そうでない時代は本当に検討する必要もあり、そのための倫理や価値観など他にもとても見直されたのではないでしょうか?

それを上回る反論があるのでしょうか?

それは余程のことです。

そして、現時点で訴訟が遅いのと費用が元を取れないという難題が残っています。

その上で別の法律の見直しが、専門家間で議論されてもいます。

それよりは真剣に犯罪をなんとかしようとはしていないですよね?

ということは、やっぱり国内法、国際法とも何とかしようとしているのですが、解決できていないということです。

これは問題中であり、もっと大切なことを考えると、ちゃんと裁かれることが大切で裁かれたとして、その他にももっと大事な問題が残っていると思いませんか?

つまり、平和でありたいというのは考えられないくらい肥大だから無理と言っているだけで、本当はそこを目指しているのです。

今でもそうしようとしている人や団体、様々な平和のための研究や学問があると思いませんか?

最終的には平和を目指しているのですが、なかなか問題が山積しておさまらないので困っているのです。

つまり、結論としてひとつひとつ、あるいは大きな問題解決を「やっていいんです」

問題解決をやってもやってもキリがないで困っているのです。

つまりあなたが当たり前にしている、(深刻にならずとも)正当なことは意味がありますし

そもそも悪いことをしていないだけでも意味があり、さらにやっていることが「よくしていくこと」がプラスになっていたり、その結果の問題に向き合わされていたり、

でも違法ではないことと、社会問題に関心を持ち解決のための行動が本当に貢献している場合もあります。

悪と正義

悪は犯罪と悪だくみです。

正義は、犯罪や悪事を裁くことです、訴えて戦うことです。

多くの人は、どちらでもないけど、正義がいいと思っていると思います。

そして検事や法曹ではなくても、訴えて戦って裁く。違法や犯罪は悪いと当然思っていたり、そうならないアイディアを考えているかもしれません。

さらには犯罪者も守られる権利はありますが、相手も守られる権利があるので、結果的に被害を与えない環境で精神的に適切な対応や反省をさせられます。

加害者は、

非常に厳しいですが、刑務所にもお金がかかっており、しかるべき反省や制裁をとるために労力がかかっています。

どれだけ犯罪をしないことが重要かわかると思います。

一方被害者はどうでしょうか?

何も悪い事をしていなくても被害にあって付き合わされることもあるのです。

正当に戦って損して終わり。

損害賠償されて償ったとしても許せない。

加害者も可愛そうで守られるのは当然の上で、それでも被害者からしたらどうでしょうか?

犯罪は絶対悪です。犯罪以外も悪はありますが、犯罪者のケアをするのは刑務所です。

犯罪者を守る前に被害者を守らないといけないのと、それでも納得できないのが被害者です。

そして、犯罪の重さも重要で、軽い犯罪も裁かれ償わなければいけませんが、

重い犯罪を許していたらどう考えても正当ではなく正義感があるなんて言えません。

言いやすい人に圧力をかけているだけの弱い人間だと思いませんか?

それでも犯罪は許されません。

重要な悪から順に許さず戦って正義ですが、なかなか次の悪や問題がはびこるので、そうしようと思っても追い付かないのです。

そうしようと思っているのが正義です。

被害者のケアよりも先に刑務所でケアされる加害者よりも正義とは言えないと思いますが、許すのも被害者ですし、ケアするのも償いをさせるのも刑務所です。

すでにあるのです。

この事実を認めたら、当然すでに起こした悪(被害者が出る問題)は裁かれないと平和な世界がある訳がないのと、別の被害者がいることを忘れてはいけないと思います。

そして、一応犯罪者も守られる権利もあるとしたら、犯罪者側にも立てるとしたら、もっと厳しい目で裁かないといけないくらい、犯罪は悪いと認識しても被害者からしたら合いません。

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