この記事の対象者

心の傷とまではいかない。
ちょっと嫌な憂鬱なことで沈む。
最近だるい、なんだかよくわからないけど。
精神科という言葉に「THE END」と感じる。
いつまでも「他人」のことで悩む。
心の不調の他者を理解できない。
性格・人格の問題と思っている。
本人の問題で環境は関係ないと思っている。
このような方は、この記事を読むことで「他の可能性がある」ということがわかります。
理由は、たいていの場合は、本当はかなり負担がかかっているけど「我慢」してるケースが多いからです。
東洋医学の「未病」の考え方に近く、完全にメンタル良好というのは結構少ない可能性があるからです。
これはわざわざ不安に思わなくてもよく、実は現状「良好なメンタル状態ではない」のかもしれない、という風に思っているよりも見えない負担があるのかもしれない、くらいに考えた方が当たっている場合もあるということです。
つまるところ、その状態を否定しないことが大切で、「傷」や「不調」などに対して、愛情を持って受け入れてあげてください。
理由は、10年以上前と比べて少しは偏見が減ってきたのかもしれませんが、
目に見えないことなので、理解できなかったり軽蔑してしまったり、差別的な対応をされてきたからです。
ここでは対応をする方にもケアが必要なくらいで、それを考えたら本人はどれだけ理解されないのだろうかと感じませんか。
目に見えない割には、ちょっと考えられないくらい大きな問題だと思いませんか?
理解は学ぶことで助ける

どちらの立場にせよ、理解が問題を助けるのです。
つまりその問題について調べたり勉強してみるのは助けになります。
そして、自分なら意志の力でそれを行うことが出来るのですが、苦しい訳ですから。
自分ではない人に理解してもらうのは簡単な場合と難しい場合もあるということです。
人により調べてくれたり理解しようと勉強したり学んで「あれがいい」「これがいい」とバランスのよい食事、陰ながら貢献してくれたり、接し方を配慮してくれる場合もあったり、全然理解しようともしれくれなかったり、軽蔑したり、変わらずその人のことに集中していたり、これは相手によるところが大きいのです。
かなり言い辛いかもしれませんが、身内のような立場の近い人や影響が大きい人、理解してもらわないと問題が生じるような場合は、、。
理解してもらうスキルとして「結果的に理解してくれた方がこの件に対してプラスだから、最終的に確立が高いので、いいことの方が多いので、全てに意味があるから」+「理解するために〇〇の資料を見てもらえない?」
など交渉するのです。
口で説明できればいいのですが、相手があまりわからない場合は資料などを使うのもいいです。
ちょっと頭を使えない時に頭を使うのはしんどいはずです。
頑張れるならいいのですが、支障をきたす場合は理解してもらった方がいいと思います。
その際に、本当に相手によりますので100%理解してくれるもの、とは思わない方がいいと思いますが、理解してくれる可能性はある!くらいは思ってもいいと思います。
そしてその可能性は無限です。
さまざまな段階

まずはその状態を受け入れることにあまり罪悪感を感じないようにした方がいいと思います。
ただあまり当てはめ過ぎずに、危険を予防する意味でも、選択肢を持ってもいいと思います。
次に、勉強したり学ぶことによって知識や理解から余計な心配をしないことや、
思い込んでいたものが違うケースという場合もあるかもしれません。
その意味でも、相談することや選択をよく考えるのも大事です。
大変な時に普通以上に大変だと感じませんか?ですから親しい立場の人には理解してもらうととてもいいのです。
そこも場合によったらかなり難関です。
心の症状もたくさん種類があり、当てはまるものと違う場合があります。
さらに、その当てはまることの原因も思っていたことではなかったり、全然違う原因の場合もあります。
メジャーなものは理解が少し進んでいるかもしれませんが、それも大切ですしそれ以外のものも大切です。
経済主義では生産性が高いものから理解を進める風潮もありますので、経済的なことと個人的なことは分けて考えた方がいいです。
経済的なことは経済的なこと、個人的なことは個人的なこと。
これらその他の問題と絡み合って相互作用をしています。
わけて考えることはどちらのケースでも役立ちます。
経済的なこともより個人的なことまで踏み込んだり、
個人的なことも経済的なことは役立ちます、正直逆が解決になるようなことも多いかもしれません。
まず、総合的には全ての問題の中に生きていますから、
今現在の問題に集中していても他の問題と向き合わされることになっているので、
今現在の問題に集中していいのです。
つまり、向き合っていいのです。
さまざまな種類を知る

以下が全てではありませんし、その前の場合もあります。
やはり言葉のイメージで傷付く場合もあるかもしれません。
書いていいものか随分悩みましたが、自分や他者の理解に役立つように願っています。
そして、「よくなる」「明るい方向へ」とポジティブな気持ち(楽観的)をおすすめします。
注意点として、医者でなければ、それも精神科医でなければ病気の診断は出来ません。
知識だけの問題でもなく、資格も意味があります。
資格は、かなり厳重に、正しいことでも厳しく守られる義務があり、思っているよりも厳重に保守的です。正しいことは正当に通った方がいいのですが、かなり厳しく守られています。
・うつ
・躁うつ
・統合失調
・対人恐怖
・パニック
・強迫性
・心気
・心身
・摂食
・外傷後ストレス
・離人
・乖離性
・全般性不安
・持続性疼痛
・アルコール
・薬物依存
・人格
・チック
・ナルコレプシー
ここで上記に「病」「症」「障害」などの言葉を省きました。
ここで少し気付いてもらえたらいいなぁ、ということがあります。
あなたが今まで知らないワードもありませんでしたか?
知っているワードが入っていないことも気付きませんでしたか?
それ以上詳細に知っている方はもちろん専門性が高いので大丈夫です。
今はじめて知ったこともあるという事を思い出してみて下さい。
まだ知らないことがあると思いませんか?

ここでは「今まで知っていたことが全てではない」ということです。
また、何がわからないでここがわからなくてこう、こう、ひとつずつつぶしていくのともちょっと違います。ひとつずつつぶすのはいいことです。
この場合は、まだわかっていないこともある、ということを理解することです。
例えば、あなたが狭い部屋に閉じ込められた場合を想像してみて下さい。
今までの全ての理論や最前線の開発の全ての可能性で対応されて、満足いきますか?
そうではない理解してもらうためのモヤモヤがありませんか?
全ての事例の中にそのモヤモヤが入っていますか?
少し違っていたりしませんか?
当たり前ですよね?
そうです、あなた一人の感情ですら、全て理解されていますか?
全てではないですよね?
それが真実なのです。
ということは、現段階でも研究され続けていて完全ではないということです。
あるいは、研究ではなく自然の中で環境を変えて解決することが、未だに追い付かないケースもあります。
一応、自分で経験したり考えていたことなどが事例にあって解決することはあるので、知識や事例は参考になったり解決のために重要です。
その知識で未知の可能性をひらいている途中の方もいると思います。
ただ、知識が全てではないのは、別の理由で変わることもあるからです。
ひとつの例でうつを上げると、
うつにも種類があるのです。この種類も増えることがあります。
(よく資格試験などで改正があり、改正を学ぶことで資格を維持するものもあります)
(インターネットもアップグレードします)
内因性
心因性
身体因性
一過性
周期性
反復性
慢性
季節性
引っ越し
荷おろし
仮面
軽傷
産後
被ばい
退行期
躁うつ
この時に気が付いたことはありますか?
全て知っていてさらに知っている場合以外は、
思っていたより色んな種類があると気が付きませんでしたか?
ここで大切なことは、本人でなければわからないことは当然あるとして、
本人でもわからないこともある、ということです。
またうつ以外に躁でも多種類ある気がしませんか?
想像力を働かせれば、逆も同じくらい辛いのかもしれない、もしくはまた違った苦しさがあるのかもしれない。
このように思った方が自然でしょう。
ということは、経験しても知識は必要でしょう。
そして、本人のことは本人が一番わかっている、とも言えます。
潜在的にもっと可能性を見られる人もいるかもしれません「あなた以上にあなたの可能性を知っている」
そのような方は、本当に勉強はされています、経験も。
ということは、正義のヒーローがいるなら、本当に正義のヒーローなんです。
みんなが正義のヒーローとは限らないからこそです。
ここで現実の悲嘆さとでも言うような、きれいごとだけではない、ということもわかると思います。
一旦その現実を受け入れて見たら、今陰ながら支えてくれている人がいたり、そういうのを大切にしている団体があったり、身近で主婦のおばちゃんの笑顔であったり、子供の無垢な姿であったり、動物であったり、そんな存在に感謝が出てきたりしみじみしたりするかもしれません。
極力理解していこう、勉強している、そういう人たちのために働いている、このような状況ってかなり奇跡的にすごいことではないでしょうか。
個人的な目標で極力をさらに徹底的に!とか、団体で厳しく理解する、というのもすごいことだと思います。
そしてその現実を生きています。
そういう人に頼っていないと思っても、そういう人たちがいる世界に生きています。
咎めたいこと

様々な咎めたいことはあると思います。
人格的に許せない!ということはあると思います。
法律を抜きにしても私も思う事もあります。
現状、私は外に出すことは法律までにしています。
身近では法律以外にも好みや意見を言うかもしれませんが。
実際のところ、嫌がらせも過ぎれば「侮辱」とし罪になる可能性すらありますし、セクハラ・パワハラ様々厳しいものです。
個人的には構わないと思っていたとしても、もしセクハラ・パワハラという戒めがなかったらやられるままになってしまう、と思ったら意味はある訳です。
あまりないにこしたことはありませんが。
また、犯罪を咎めるのは実は大切なことでもあります。
なかなか出来ないことで、これも正義感と言えます。
ほとんどの事は犯罪以外は好みだと思っていて、好みで言い合うのは可愛いもの、そして好みで熱くなりすぎるのも可愛いか犯罪者を見ていないからかなとも思います。
犯罪者も可愛いところもあるかもしれませんが、犯罪は相手が被害を受けるから本来は咎めるもので、社会がそれをしています。
さらに、違法とはされていないけど倫理的によくないことを問題として考えていたり。
いいことを積み重ねて結果的にいい方向へ向かうようにしたり。
自分で対策するなら

また、自分で出来るよさそうな対策とし、「根拠がしっかりしている(いくつか事例のあるもの、確率が高いもの)」から始めた方がいいと思います。
まず食事であったり、軽い運動であったり。
瞑想ですら、少し危険がない訳でもありません。
いいはいいのですが、瞑想による怪我もないことはありません。
安全なものからやってみることが大切です。
その上で、勉強だけでもよいこともあります。
そもそも勉強や読書は瞑想効果も認められているということなので、
絵本を読むのもいいかもしれません。
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