コメント億劫です。
コメントでやめた方がいいことってある?
コメントで意見を伝えられたとしたら?
遊びのコメントと真面目?なコメント。
コメントが採用される確率は?
ネガティブコメントとポジティブコメント。
どちらが得か?
ネガティブコメントは違法なの?
ネガティブコメントを書く理由や目的は?
このような方は、この記事を読むことで一般的な見解から上記の内容を知ることが出来ます。
理由は、何に対するコメントかは今後も多様化するにしても、やめた方がいいことを知ると楽になるからです。
わざわざネガティブなことを考えなくて済むし、送る必要もなくなるのでその分他の楽しいことに時間を使えます。
いいコメントはした方がいいので、考えなくてもいいことを考えないと楽になります。
そうすると、普通かいいかその中間になるのでコメントによる問題が減るのです。
例えば、何かしらの作品を残すことを考えてみて下さい。
どんなにいい作品を作ろうとしても、初めから納得がいかなかったりいい作品ができないこともありますよね?
それが問題なのでしょうか?
はじめから捨てる作品を作ろうとは思いませんよね?
うまくいかないのと、悪い作品を作ろうとするのは違うと思いませんか?
せっかく書くなら、うまくいくようにと思って書こうとしてみませんか?
コメントは書かなければいけないものか?
そもそもコメントは書かなければいけないものかどうか。
よく学校や企業やディスカッションなどで、言わないはダメ、最低でもノーコメント(笑)
と言われて、無言はダメで何か言わないといけない時ありませんか?
確かにその場合は、何か言わないといけません。うまくかわすテクニックのようなものでノーコメントってあります。
それで担当の人が許してくれる、わかってくれたらOKじゃないですか。
それじゃだめだ、何か言いなさいって言われたら、適当に答えないといけません。
それは意見やコミュニケーション、グループディスカッションの強制的なルールで訓練なんです。
一方、コメントはどうですか?
一般的に公開されて自由にコメントできる環境で、コメントをすることはできますよね?
表現の自由と言われています。
この時に、訳あってコメントする場合は自由ですが、
よく考えたらコメントはしなくていいんです。
コメントしてはいけないのではなく、しなくても別にいいんです。
誰もが前提としてわかっていることで、「青信号を渡らなくてもいい」と同じくらい当然のことです。
その上で、コメントはしなくてもいい前提でわざわざか意図してコメントをしているという前提があります。
コメントするのは自由。
コメントをしなくてもいい。
これはそのままの理解が前提です。
思ったことは言うか言わないか
「コメント」と「言う(話す)」なら、言う(話す)方が気楽です。
思ったことを言ってるだけで、言っちゃいけないことも先ず言うのはあるかもしれません。
独り言ならいいのですが、誰かに話す場合は相手が変に思わないか少し考えませんか?
思って言う前に少し考えませんか?
面白い事ならすぐ話すかもしれませんが、微妙でネガティブなことを思ったり感じたりしたとき、少し口に出す前にためらいませんか?
例えば独り言ならいいし、前置きで「ちょっとさ、少しネガティブなことなんだけどモヤモヤして話してもいい?」と言ってから相手の反応で話す場合はダメではないかもしれませんが、相手への配慮や相手が許容してくれる場合にです。
コメントと話すなら、話す方があんまり考えないで口に出来るんです。
コメントは気軽に書くことも出来るし考えることもできます。
話す場合には、あまり考えないで話して整理するということがあります(そうしないで書く人もいます)
コメントはネガティブなことを書かない選択も出来ます。
先ず前提としてコメントは自由なのだからネガティブなことを書かないということが出来ます。
ノーコメントが出来るというか、出席してて出席してない状態を取れます。(ちょい怪しいですが、下準備ってそんなものですよね)
もちろん意見として、その人なりに・一般的に正当な意見や反応を書くことも出来ます。
よく学校やどこかに意見を言う場合、根拠をもって筋道を通すように言われませんか?
それなら通ることがあります。ですが、しっかりとした根拠のある、ある程度誰からも同意を貰うような意見も、伝わった上で通らないこともあります。
多くの人に賛同を得るのに通らないことがあります。
もちろん意見が有益で通ることもありますが、いい意見が通らないことってあるのです。
これは、いい悪いの問題は置いておいて
普通のTさんが完璧に近いYくんにいつもよく話を聞いてくれて素晴らしいアプローチでご飯に誘ってくれたとします。
誰が見ても悪いことない、行かない理由がない時、
「絶対に行かなきゃいけないか?」っていうことなんです。
お前以外本当に誰でも行くよ?という状況でも、行かないということがあるんです。
どちらが理不尽、行かない方が理不尽でも
そういうことはあるのです。
批判的なことも気にしていて直せてよかったと思う場合もあるかもしれません。
多少砕けたりジョークで、相手が嫌な思いをしなければよいのですが
嫌な思いをする場合はよくないと思いませんか?
ただここで客観的な、誰が見ても文句を言えない状況、コメントがあるのです。
「おはようございます。今日はいいお天気ですね。」
「楽しそうでいいですね!」
「ユニークですね!、斬新ですね!」
「素晴らしい功績ですね!」
「参考になります」
このようなコメントで嫌な?思いをすることはないのですが、もし嫌というか反発したらいけないのです。
上記のようなコメントで、反発するようなコメントはしてはいけないのです。
普通は嬉しいようなコメントなので、「嬉しい」と思ったり「嫌?」と思っても
「ありがとうございます」「嬉しいです」などはあっても、「言われる筋合いはありません」などとは言ってはいけないのです。
確かに筋合いはないかもしれませんが、挨拶された場合に「挨拶する筋合いはない!」なんて言ってはいけないのです。
思ってもです。思う方が不自然なんです。
それでも人間ですから、嬉しいと思っても言えないことはあります。
「ありがとう」「嬉しいです」のひとことも言えないこともあります。(客観視点)
ありがとうと言えないのもよくはないのですが、「いつも洗練されていますね!」などとコメントを頂いた時に、「???××(~?’@”IP)□■△▽▼▲?ピ5odz」こういう反応を返したらやっぱりちょっと違和感がありませんか?
照れるなら「照れます」と言うか返せないこともあるのに、わざわざ「???××(~?’@”IP)□■△▽▼▲?ピ5odz」までどうでしょうか?
この場合は、返さなくたって仕方ないのです。
わざわざ「きしょっ」とか「きもっ」ってコメントしなくていいのです。
仮に思ったとして、本人を前にして言うのですか?という話です。
(そもそもそんなこと思わないのです。また見ないのです。わざわざ。)
私たちは独り言や信頼のおける友達と話している分にはわかりませんが、
本人に伝えるなら、少し言葉を丁寧に直すとか、わざわざ言わないということをしませんか?
コメントはしなくてもいいという前提がある(青信号を渡らなくてもいい・赤信号を渡ってはいけない=意味のない当たり前の事)ので、ネガティブなことや言い辛いことはノーコメント「言わない」ということが出来ます。
コメントをしなくてもいいのに、わざわざ書いて送るなら相手とプラスになるようにコメントをしようと、と思いませんか?
この時に、思ったことを書いちゃいけないの?って思いますか?
思ったことを書いていけない訳でなくても、「最悪」って思って「最悪」と送ったら相手が傷付くと思いませんか?
個人的な関係が深い場合にストレートに伝えても大丈夫ならいいと思いますが
基本的に「ネガティブなワードを伝えない」と決めたら何か悪いことがありますか?
当人の悪いことを当人に言えるのか?ということです。
ネガティブワードを伝えたとしても傷付いてないということがあるかもしれませんが
傷付いているかどうかわかるのだろうか?という事と、仮にネガティブワードを伝えたら傷付くと仮定してみたらどうでしょうか?実際はわからないけど、ネガティブワードを突き付けられたら傷付いているとして次の状況を考えて見たらどうでしょうか?
「悪かったな」と思いませんか?そしてその後に「伝えなきゃよかった、言わなきゃよかった」と思いませんか?
それなら(ネガティブワードを伝えたら、傷付いて見えなくても相手が傷付くと仮定したら)初めから一切ネガティブワードを伝えない!と決めたらどうでしょうか?
それでもモヤモヤしたら今度は伝え方を考えませんか?うまい言葉を選ぶ。
もしくは、それは言わなければいけないものか?と考えて
わざわざネガティブなことは伝えないで他のことをする。そうしたら、マイナスを避けることが出来ます。
プラスがないのはよくないという事実は変わらないのですが、マイナス要因を作らない。
私たちは常に完璧ではないなら、わざわざマイナス要因を作らなくてもマイナス要因がある場合もあります。
本来はそっちで忙しいなら、マイナス要因を作ることを一切やめて他のことをするか、プラスに変えるために対策や考えればいいと思いませんか?
こんなことを聞いたことがありませんか?
短所は長所の裏返し
ならば悪い事はいいことの裏と考えれば、あえて言わないでいいことに気付くように転換したって
すぐに出来るのでしょうか?
もしすぐに悪いことをいいことと考えられるなら問題ないどころかハッピーですし
もしすぐに気付けないのなら気付くことに時間を使った方がよさそうと思いませんか?
いいコメントが優秀でいいに決まっています。
そうでなければいいコメントや趣旨の前に、一般的に反発してはいけないポジティブワードを確認してみませんか?
相手が反発する理由がない普通の言葉
基本的に、挨拶は反発出来ません。
私も過去に仕事で毎日何百回も挨拶をしていたことがあるので、裏で「うざい」などの声があっても
裏でうざいという書き込みがあるから挨拶しなくていい、という理由にはならないのです。
何故なら、うざいという人に直接言われていないので知っている方がおかしいし
他の人づてで文句を言われたら直したりシェアしたり改善しようにも
「挨拶がうざい」からやめてくれ、という言い分は聞けないのです。
「ああ、そうなんですね。はぁそうなんですね。ええ、なるほど、そうですね」と言ったところで「挨拶しないように気を付けます」ということにはなりません。
誰々さんの挨拶ならいいけど誰々さんは挨拶するな、というのはにこっと聞いて
誰でも必ず誰に対しても平等に挨拶しないといけないのです。
挨拶しないといけないのです。
逆は挨拶しなければいけないのではなく、状況的に挨拶しなければいけなくなるのです。
それでも挨拶をしないからと言って怒られることも文句を言われることはありません。
それだけのことです。
ただ仕事の場合は、「挨拶が要りません」というクレームを受けた時は、腹筋を鍛えて力を抜いてリラックスしたとしても、挨拶以外のことを気を付けることはしても、挨拶をしないように気を付けることはありません。
よく詐欺師の話を最後まで聞くからおかしくなってしまう、はじめから聞かなければいいと聞いたことがありませんか?
これと同じで、必ず挨拶するケースでは、詐欺の中身が「挨拶をかえす」というだけなので
挨拶をかえすか、素通りするしかないのです。素通りは初めから話を聞かないことに例えられます。
素通りがいいと言っている訳ではないのですが、挨拶する立場の人に「挨拶するな」詐欺の「そんなのやめてくれ!」というのははじめから聞かないか、挨拶なら「挨拶を返す」か詐欺なら「交番に言う、都道府県の相談窓口、警察」など以外にどうしようもないのです。
詐欺に口で説得しようとしているようなものです。
詐欺には口で説得してもわからないので、通報するしかないのです。
また詐欺師を説得してやめさせて未遂をもみ消そうとするのですか?
それは状況を知っているにも関わらず、隠すということで罪にはなりませんが「何で通報しなかったの?」と問われることになります。(参考:現場助成の罪)
ここでは詐欺は企んで話しかけた時点で未遂罪が成立するのですから、許してはいけないんです。
通報しないといけないのですが、通報しないことで罪に問われることはないでしょうが、後から知ったのに通報してないのは証人として捜査される可能性もあります。
詐欺未遂と知って隠すのは通報しないと罰せられないけど(未遂罪を通報しないといけないと知らなったから)、通報しないのは未遂罪に該当するものを隠すということになります。
交番や裁判ではどうしようか、どう裁こうかと話し合うと思いますが
詐欺とわかったら詐欺を説得して隠している場合ではなく、機械的に通報するという処理をさらっと行わなければなりません。あとはそっちで。
挨拶する人に「挨拶すんな」は無駄ということです。気持ちは伝わりますが。
そのような、無敵の礼儀が挨拶や天気の話、ポジティブワードです。
コメントする方は一方的に無敵の礼儀を言えば、返ってこなくてもマイナスに取れる可能性がゼロになるのです。
これが「カス」と言われたから傷付きました、というのは誰でもそう取ります。
本人が傷付いていなくても、「カス」と書かれた事実と「それで傷付きました」と言えば、本当はそれほど傷付いていなかったとしても、それは適切に認められます。
一方「ありがとうございます」と言われたから「嫌な気持ちがしました」と言っても
親しい人と普通ではわからないことまで話しているだけ、と見られます。
そりゃそのままの気持ちではないとしても、「ありがとうございましたと言われて嫌です」は通りません。
ですから、少し厚かましいかもしれませんが
挨拶やお天気の話、ポジティブなワード、褒める言葉などは多少外したとしても
それで虐殺されることはありません。
マナーに関する記事はこちらが参考になります。
この時に、挨拶やポジティブなワードのコメントを「納得いくようにうまく書けた」と思ったとしても(客観的にもそうだとしても)だから必ずプラスで、「絶対にうまくいく」とは考えない事です。
うまくいくはずなのですが、うまくいかない方が相手がおかしい、うまくいくと仮定していいのですが、
素直じゃないことってやっぱり私達ありませんか?
例えば笑顔で挨拶されたら挨拶して、「今日は気分がいい」となって自然なのに、他にも考える事や一方的に挨拶されて納得がいかないかもしれません。
その時に、それを許容しないといけません。
「おはようざいます」「いつも素晴らしいですね!」「とても優れていますね!」と書かれて
絶対に嬉しい!となる訳ではなく、自然でいいという事です。
自然ならいい結果になる、そういうものです。
また、このようなポジティブワードから普通のコメントをしたければするのです。
そもそも意見を聞かれていたり、何でも言ってください、と言われているならポジティブワードから意見や言いたい事を言うとかなり違ってきます。
砕けてジョークなどが通じて通るならOKですが、本人が傷つかなくてもネガティブワードと「ネガティブワードで傷付きました」と言われたら悪いのですから
やはりいくらポジティブワードから入っても「おはようございます、クズ」こんなこと書いたら皮肉です。侮辱です。
それは、「おはようございます、ぼちぼちですね(〇〇は変わらずですね)(相変わらず△△ですね)」くらいの普通のコメントをすればいいというか、普通のことです。
最近、特定・個人に対する誹謗中傷などの問題に対応して、システムでガードされてきて
変なコメントはガードされるなどの対策がされてきました。
何でガードされるんだ?とは思わない方がいいです。
仮に休憩中に意味のある話をされて、ただぼーっとしたいだけの理由で断ってもいけないことはないのと同じです。
ヨガ教室にいくことがよかったとして、散歩をしてはいけないことにはなりません。
どちらがいいかの問題ではなく、相手の自由なのです。
コメント問題を減らしたい、社会的に問題に巻き込まれたくない場合は、とりあえずプラスなこと、プラスだと思うことを書く。意見の場合は、挨拶プラス意見など。要約プラス意見。
そして、コメントでなくても普段の日常生活でもこの発想は同じように当てはまります。
人はプラスのことを言おうと思ってもなかなか言えないことがあります。
プラスのことを言おう(意識)と思うことが出来ます。
思っても出来ないこともあるのだから、はじめからプラスのことを言おうと思わないと
安定した平常な対応を出来るなら問題ないのですが、第一印象などで「〇〇、△△」と思ったことを瞬間的に「〇〇」と書いていいことにはなりません。
言っても意味ない事、意味ないだけでなく相手を不快にさせるとみなされるワードは言わないと決めることが出来ます。
また、何かしらの関係がある人には、挨拶する習慣もないと外から見られた時に(自分たちはおかしくなくても)ちょっと違和感を感じることがあるので
挨拶をして普通という習慣をもつのもいいかもしれません。
私は、挨拶は犯罪の予防になると思っています。強制ではなく、して普通(しないと違和感)で悪い事の予防にもなる。
見返りは求めないことですが、必ず挨拶する。
そうすると、「感じがいい」と見られることが多くなるので期待しないでいいことがあるかもしれません。
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